今回、一緒に展覧会をつくる青柳菜摘さんは、過去に十和田市現代美術館において展覧会「亡船記」(2022年)を行っています。さまざまなアーティストがいるなかで、なぜ今回は、青柳菜摘さんと組むことになったのでしょうか?
見留:JUMPの育成対象キュレーターに選ばれたあと、メンターやほかのキュレーターとの話し合いを経て、海外3館のなかからCAMで展示を行うことが決まりました。そして、どのアーティストの展覧会がCAMに合っているかと考えながら、ほかの2館と同様に日本での実績はあるものの海外での展示発表が少ない同世代のアーティストを中心に、十数名をリストアップしていった。私自身、リスボンに関する知識がほとんどなかったことから、当初は漠然と、ポルトガルの画家であり、イラストレーターでもあるポーラ・レゴ(ジェンダーやセクシュアリティ、家父長制、植民地主義といったテーマを取り扱う)と接続できる展覧会をつくりたいと考えていました。
なかなか候補が絞りきれないなか、2024年12月、JUMPのメンターを務めるキュレーターの片岡真実さんとCAMに視察に行ったことで、企画に対する認識が大きくアップデートされました。まず、展示を行うCAMは、館内と館外がガラスでシームレスにつながっていたり、シャットアウトされたりと、いろいろな表情がある建物。魅力的だけど、難しいこの空間を使いこなしたインスタレーションをつくれる人は誰だろうか? そう考えたときに、青柳さんならば、空間を魅力的に使いこなしてくれるように思えたのです。
また、CAMで生み出される作品は、どの美術館でも成立するわけではなく、イチからポルトガルをリサーチしてつくるものになります。もともと、彼女がテーマとしてきた「媽祖(まそ)」(中国や台湾を中心に信仰されている航海の女神)や「見えない存在」は、ポルトガルのマリア信仰や、航海による文化の輸出入といった文脈に接続できるのではないかと思ったことも大きいですね。
2025年5月には、青柳さんと一緒にポルトガルでのリサーチを行っています。およそ2週間のリサーチでは、CAMのあるリスボンだけでなく、ファティマやポルトなど別の町にも足を運んでいますね。
見留:今回のリサーチのなかで、特に印象的だったのがポルトガルの各地にある公共の「洗濯場」でした。ポルトガルを代表する映画監督のマノエル・ド・オリヴェイラの『アブラハム渓谷』(1993年)を見たときに、洗濯場のシーンがとても印象に残り、青柳さんに共有すると、彼女もとても強く関心を示しました。そこで今回のリサーチでは、何箇所もの洗濯場をめぐったのです。昔から地域の人々に使われていた場所ですが、洗濯機が普及している現在でも、現役で使われているところもあります。実際に訪れたのは14か所くらいだったんですが、地図にも記載されていない洗濯場も数多くあり、わたしたちがめぐった場所にはたくさんある印象でしたね。
リサーチで訪れた洗濯場の風景
撮影:見留さやか
地域のなかで使われている洗濯場を通してみると現地のコミュニティのあり方も見えてきそうですね。見留さんのテーマであるフェミニズムや美術館のあり方についても考えられる展覧会になるのでしょうか?
見留:正直、どのように扱うのかはまだ見えていません。ただ昨年12月ポルトガルに滞在した際には、アーティストのレオノール・アントゥネスが、CAMに収蔵された作品を網羅的に見直して、そこから33人の女性アーティストの作品を展示していて、今年の5月の滞在時には、ポーラ・レゴとアドリアナ・ヴァレジャオの展覧会を開いていました。どちらもCAMのメインとなる展示室でのフェミニズムをテーマにした展覧会でした。そのことに勇気をもらったし、そういうCAMの姿勢ともつながる展示にしたいですね。
「Paula Rego e Adriana Varejão: Entre os vossos dentes(Between Your Teeth)」グルベンキアン・モダンアートセンター(2025年)
撮影:見留さやか
フェミニズムのような政治的なトピックを扱う展覧会は、日本の場合、一部の鑑賞者から敬遠される場合もあるかと思います。ポルトガルでは、そのような展示を受け入れる土壌があるのでしょうか?
見留:あると思います。リスボンにある国立民族学博物館に行ったとき、19〜20世紀のアフリカにおけるポルトガルの植民地主義に関する展覧会が開催されており、そのなかに「アフリカの歴史を知ることは、ポルトガル社会にいまだ残る植民地主義の価値観を読み解き、脱植民地化に向けた思考を促すことにつながる」というような言葉がありました。大航海時代に世界各地を植民地支配したポルトガルでは、かつて支配していたブラジルやアフリカなどとのかかわりのなかで形成された民族歌謡「ファド」に見られるように、さまざまな文化的要素が複雑に絡み合い、今日の「ポルトガル文化」がかたちづくられています。ポルトガルがこうした土地や人々を従属させ搾取してきた歴史と批判的に向き合い、政治的なテーマを打ち出す展覧会にも、さまざまな企業がスポンサーになっているのが印象的でした。扱うべきテーマを自主規制しないで表現できる環境があるようですね。