コラボレーションの体験談

荒井保洋「鑑賞者に届ける体験をつくる」

荒井 保洋(滋賀県立美術館 主任学芸員)

2025.10.07

一般的に「キュレーター」といえば、美術館やギャラリーのなかで行われる展示を企画する人のことを指します。けれども、滋賀県立美術館主任学芸員の荒井保洋さんは、少しユニークなキャリアを歩んできました。キュレーターとして仕事をはじめてから数年間、所属する滋賀県立近代美術館(現・滋賀県立美術館)は全面改修に突入。その期間に荒井さんが行ったのが、まちなかでの展覧会でした。伝統建築や空き家などを活用した展覧会シリーズ「滋賀近美アートスポットプロジェクト」は、日常生活の延長線上で展覧会を行うことで、普段は現代アートに馴染みのない人を呼び寄せ、大きな話題となりました。
こうした一般的なキュレーター像とは少し異なるキャリアは、どのような影響を与えているのでしょうか? 今回JUMPでは、アーティストの遠藤薫さんと協働し、オーストラリアのシドニーにあるニュー・サウス・ウェールズ州立美術館で展示を行います。その展示内容とともに、荒井さんのキュレーターとしての原点を伺いました。

聞き手・構成:萩原雄太 撮影:仲田絵美 編集:川村庸子

役所で働くキュレーター

多くのキュレーターは、こどもの頃から美術に親しむ環境にある人が多いですよね。荒井さんも、こどもの頃から美術に触れ合っていたのでしょうか?

荒井:絵を描くのは好きだったのですが、ほとんど美術館に行くことはなかったし、大学も総合大学の文学部でした。大学の授業で、東京都現代美術館に行って展覧会をレポートするという課題が出され、初めて美術館の常設展に足を運んだんです。
それまで現代アートを見る習慣すらなく、絵や彫刻ばかりが美術だと思っていました。だから、初めて現代美術館に足を運んだときには「こんな世界があるのか!?」って新鮮な驚きを受けましたね。特に圧倒されたのが韓国出身のアーティスト、ソ・ドホの《リフレクション》。布を使って空間に建築物を立ち上げているのですが、身体全体の感覚を使って向き合う体験がおもしろかったし、「空間にこんなことしていいんだ!」って目から鱗が落ちた。そこから、現代アートに興味をもつようになり、多摩美術大学(以下、多摩美)の大学院に進学したんです。

大学院ではどのような活動をしていたのでしょうか?

荒井:多摩美の教授だったキュレーターの長谷川祐子さんの下で、 2010年に東京都現代美術館で開催した「トランスフォーメーション」展の長期インターンを経験しました。これが、僕にとって初めての展覧会とのかかわり。展覧会直前は、ものすごく慌ただしく、ずっと文化祭前夜のような気持ちだったのを覚えています。
そうした原体験があるからか、僕はキュレーターとして、展覧会をつくることがメインのタイプです。キュレーターのなかには、作家や作品を研究し、成果発表のようなかたちで展覧会をつくるタイプの人もいるのですが、僕の場合は、作品が空間のなかに立ち上がって展覧会になったとき、鑑賞者にどんな体験を届けることができるのかに興味があります。

その後、現在の滋賀県立美術館にたどり着くまでにどのような変遷をたどっていったのでしょうか?

荒井:大学院修了後は、母校の多摩美で、助手として現代アートの展覧会をつくるゼミをサポートし、さまざまなアーティストと一緒に展覧会をつくる経験をしました。そんなとき、滋賀県立近代美術館(現・滋賀県立美術館)の募集が出たので応募しました。当時、既存の建物改修と新棟建設によって新たな美術館をつくるプロジェクトが立ち上がっていて、新しい美術館をイチからつくるという仕事に強く惹かれました。

いったい、どのように新しい美術館をつくっていったのでしょうか?

荒井:まず、最初の半年の仕事場は、美術館ではなく県庁でした。それは美術館の学芸員でもありながら、新館整備を担当する県庁の部署の学芸員でもあったからですが、採用されて最初の仕事が、県議会の答弁資料をつくる仕事だったことを覚えています。当時は、行政職の人と机を並べて、スーツを着ながらの書類仕事。まったく美術作品に触れることはなかったですね。もし、ほかの美術館でキュレーターをやっていたら「これはキュレーターの仕事なのだろうか……?」と考えたかもしれません。けれども、右も左もわからない状態だったので、戸惑いはなかったですね。

そのような経験を経て、行政の構造を理解できたことは荒井さんの強みとなっているのでしょうか?

荒井:もちろんです。行政での経験を積んだことで、プロジェクトを進めるときには誰に話を通せばいいのか? といった手続きや、県議会の議員の先生がどういう反応を示す可能性があるか、ということも予想がつくようになりました。いま、美術館のなかで仕事をしているときにも役に立っていますね。
キュレーターには、文化を広めたり、新しい文化を発掘したりすることなどに意義や価値を感じて動く人が多いですよね。でも、そんな文化芸術の論理とは異なった論理が、行政のなかでは働いている。キュレーターがやりたいプロジェクトを実現するには、「文化的な意義」とは別のカードで勝負しなければならないときもあります。そういった現実的な考え方は、行政での仕事を通じて培ってきましたね。

美術館新設の挫折と新たな挑戦

しかし、荒井さんが担当していた新生美術館の建設は2018年に方向転換され、既存の施設を改修することになりました。突然、プロジェクトが頓挫したときはどのような心境だったのでしょうか?

荒井:突然の方向転換には戸惑ったし、落ち込みもしました。でも、目の前にある膨大な残務を処理するため、ショックを受けている余裕はなかったですね。

美術館の方針転換後、荒井さんは2018年から2021年まで「滋賀近美アートスポットプロジェクト」(以下、アートスポット)を手がけています。これは、どのような経緯で行われたのでしょうか?

荒井:当時、美術館はすでに工事の準備のための長期休館に入っていました。休館中のさまざまな活動の一つとして、県内のほかの美術館や大学でコレクションの展示をする試みがあったのですが、これは、これまで美術館には足を運ばなかった人にとってもコレクションに触れる機会となった一方で、作品を展示するためのさまざまな条件を解決しなければならず、難しいことも多かった。加えて、そうした施設での展示は、やっぱり足を運んでくれる人にしか見てもらえないな、と思ったんです。そこで、鑑賞者に来てもらうのではなく、美術館の方からまちなかに出て行き、そこに住む人たちとコミュニケーションが取れるプロジェクトをつくりたいと思いました。

美術を見に来てもらうのではなく、美術の方から近づいていく、と。

荒井:もう一つ考えていたのが地元のアーティストとの協働です。当時、近代美術館は地域の若手アーティストとのコミュニケーションがほとんどなかった。そこで、アートスポットでは、滋賀に所縁のある若手アーティストと一緒に、長浜や高島、東近江など、美術館からは距離のある県内の3つのエリアのローカルな会場を使って新作を中心にしたグループ展を行いました。
実は、アートスポットで使った会場は、全部、電気が通っていない建物ばかり。展覧会の設営は、いつも、電気工事をして電気を通すところからはじまりました。また、建物の図面もないので、自分で計測して図面を引かなければなりませんでした。
印象に残っているのが、2019年のVol.2の開幕日。会場となっていたのは高島市安曇川町の山のなかだったのですが、開幕日の朝にスタッフから電話がかかってきて「駐車場にサルの大群がいて車が停められない」と(笑)。もちろん、そんな会場なので温度や湿度の管理もできないし、セキュリティも最低限。作品が劣化したり、傷がついてしまったりする可能性も否めません。美術館での展示では考えられない条件ですが、作家たちは、そんな展示会場をおもしろがって、一緒に展覧会をつくってくれました。

会場となった平屋の外観。大きな2本の木がある。

滋賀近美アートスポットプロジェクトVol.2「Symbiosis」
撮影:麥生田 兵吾

林の中に、白いワイヤーで造形された人型の彫刻が展示されている

井上 唯《この土地に生きる》2018年(滋賀近美アートスポットプロジェクトVol.2「Symbiosis」)
撮影:麥生田 兵吾

そんなほかに類を見ない展覧会に対して、鑑賞者の反応はいかがだったのでしょうか?

荒井:美術館での展覧会よりもダイレクトな反応をもらえたことが印象的でしたね。毎日、犬の散歩のついでに寄ってくれる近所のおばちゃんがいたり、背中が曲がったおばあちゃんに向けて、こちらも腰をかがめながら作品の解説をしたり、ふらりといらっしゃった仙人みたいなおじいさんからその土地の昔話を2時間くらい聞いたり……。さまざまな人と話しながら、目の前でその反応を受け取る経験となりました。

その後、美術館は滋賀県立美術館としてリニューアルオープンし、荒井さんは開館展「Soft Territory かかわりのあわい」(2021年)や、東京オペラシティ アートギャラリーと滋賀県立美術館を巡回した写真家の川内倫子さんの展覧会「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」(2023年)を手がけていますね。

荒井:川内さんの展覧会は、初めて手がける現存作家の大規模な個展。自分のキャリアにとっても大切な経験になりましたね。この展覧会では、建築家の中山英之さんに空間設計をお願いしました。川内さんは、撮影に訪れたアイスランドの火山の印象から、母親の子宮のように身体感覚的にクローズドな空間をつくりたいという希望があった。そこで、川内さんとキュレーターのチームではトンネルやかまくらのような形状のアイデアが出ていたのですが、これを中山さんに相談すると、彼が持ってきてくれたのが半透明の布を使ったアイデアでした。半透明の布をひだ状に折りたたんでできた構造体を切り抜いてトンネル状にして、クローズドだけど外界とは完全に遮断されないという川内さんのイメージ通りの空間が現れたんです。

荒井保洋「鑑賞者に届ける体験をつくる」

「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」
撮影:麥生田 兵吾

アートスポットのように美術館とは異なった場所で行うおもしろさと、川内倫子展のように、美術館で展覧会を行うおもしろさは、どのように違うのでしょうか?

荒井:アートスポットのようなラフな環境でつくる展覧会は、自由度が高い一方で、作品も荒々しいものにしないと空間に負けてしまいがち。一方、美術館は、作品を展示するための空間ができあがっている場所であり、作品をどのように見せたいか、鑑賞者に何を体験してもらいたいかといった、やりたいことを研ぎ澄ませていくことができる場所。それが大きな違いだと思います。

オーストラリアで展覧会をつくる責任

今回、JUMPでは、シドニーのニュー・サウス・ウェールズ州立美術館を舞台に、荒井さんのキュレーションによる遠藤薫さんの展覧会が予定されています。まず、荒井さんがJUMPに応募した理由から教えてください。

荒井:募集要項を読んで、アーティストとともに展覧会をつくる、プロセスを重視したプログラムが魅力的だったことから応募を決めました。また、公立美術館の通常の予算規模では、なかなか海外の美術館と仕事をするのは難しいのが現実です。海外の美術館と仕事をした経験を積むことができれば、いまよりも仕事の幅が広がっていくのではないかという思いもあり、応募を決めました。
参加キュレーターとして採択され、ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館と協働することが決まると、次に、どの作家に展覧会を依頼するかを考えていきました。遠藤さんを選んだ理由は、「工芸」から出発しているアーティストで、生活に密着した文化を軸にして作品がつくれるアーティストだから。彼女の作品であれば国外の人にも届きやすいのではないかと思ったんです。
2025年4月に、初めて現地にリサーチに行きました。ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館は、面積的には東京都現代美術館や東京国立近代美術館が2つ入るような巨大な美術館。どのような展示が可能か検討するために、館内を隈なく見学してきました。また、同時期に開催していた第11回アジア・パシフィック・トリエンナーレを見に行ったり、アボリジナルのアートもたくさん見たりしました。

ということは、今回の展示は、アボリジナルアートにも触発されたものになるのでしょうか?

荒井:いまのところ、アボリジナルをテーマにしたり、直接的な影響を受けたりすることはないように思います。しかし、オーストラリアで展示する以上、アボリジナルについて何も知らない、というわけにはいかないと思います。
オーストラリアでは、かつて先住民を迫害した歴史を反省し、それを見つめ直そうとしています。そんな国でリサーチをしながら作品をつくって発表する以上は、僕らもその歴史を踏まえた上で挑まなければならない。真摯に向き合うことは避けて通ることができないと考えています。

荒井保洋「鑑賞者に届ける体験をつくる」

Installation view of Rusty Peters Waterbrain 2002, Art Gallery of New South Wales
©︎Estate of Rusty Peters, Warmun Art Centre/Copyright Agency

すべてのプロセスを吸収する

現地での展覧会は2026年度を予定していますが、現時点ではどんな作品になりそうでしょうか?

荒井:遠藤さんは、以前、国際芸術祭「あいち2022」で《羊と眠る》という作品を発表しています。これは、愛知県一宮市が羊毛による毛織物における国内最大の生産量だったことからインスパイアされたインスタレーションです。自ら羊を解体したり、皮をなめしたり、羊毛を織るといったプロセスを経てつくられました。オーストラリアの羊毛生産量は、中国に続いて、世界第2位。シドニーでも、羊が作品に登場するかもしれません。

羊毛のサンプルが入った箱を荒井さんと遠藤さんが観察している

With Permission from Powerhouse Museum
撮影:半田 樹里(国立アートリサーチセンター)

ガラス張りの木箱の中に羊毛が種類別に分類され収まっている

With Permission from Powerhouse Museum
撮影:半田 樹里(国立アートリサーチセンター)
パワーハウスミュージアムで羊毛産業についてリサーチ

今回、ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館のシニア・キュレーターであるメラニー・イーストバーンさんが荒井さんのコラボレーターとして参加していますが、どのようなことを学んでいますか?

荒井:最初にメラニーと話をしたときに驚いたのが、展覧会の会期についての考え方です。「どれくらいの会期が一般的か?」と聞いたところ、「ミニマムで4か月かな。1年間開催する展覧会もある」という答えが返ってきたんです。日本の美術館では、一般的に2〜3か月で企画展が回転しています。
そんなにも会期が長い理由の一つに挙げていたのが、SDGs(Sustainable Development Goals/持続可能な開発目標)を考慮しなければならないから。展覧会を実施すれば、当然多くのゴミが生まれます。資源を無駄にしないためにも、会期を長めに設定し、ゴミを削減しているそうです。屏風や掛け軸といった、長く展示できないフラジャイルな素材の作品を前提にしている日本の美術館には、なかなかできない発想ですが。

長期の展覧会がSDGsにつながる。日本ではまだ馴染みがない発想ですね。

荒井:また、彼女の仕事を見ていると、日本とオーストラリアでは美術館組織のつくられ方が全然違うことに気づかされます。日本の美術館はスタッフが少なく、各自がいろいろな領域の仕事を掛け持ちしているような状態で、僕自身もいま、コレクション、企画展、施設関係、IPM(Integrated Pest Management/総合的有害生物管理)など、いくつもの業務を担っています。
メラニーとの雑談のなかで、「展覧会当日は直前までキャプションをつけてるよ」っていう話をしていたら、「えっ!?」と驚かれました。彼女にとって、展覧会当日のキュレーターの仕事はプレス対応であり、それが最も優先されること。スタッフがたくさんいて分業が進んでいるからこそ、キュレーターも本来の仕事に集中できるんです。

今後もJUMPの活動は続きます。荒井さんとしては、どのように成長していきたいと思いますか?

荒井:海外の美術館と、こんなにガッツリと仕事をするのは初めての経験です。JUMPがなければ、こんな経験は一生なかったかもしれません。トラブルも含めてすべてのプロセスを吸収していきたいですね。
そもそも、経験したことがないものはなかなか発想することができません。JUMPを通して経験を重ねることで、これまでは「海外の美術館との仕事だから難しいだろうな……」と諦めていた事業にも「やってみよう」という選択肢が浮かぶようになるでしょう。ゆくゆくは、海外との事業であっても、最初の一歩を躊躇なく踏み出せるようになりたいですね。

2025年7月10日

荒井 保洋

滋賀県立美術館 主任学芸員

1986年福岡県生まれ。滋賀県拠点。
2009年早稲田大学第二文学部表現芸術系専修卒。2011年多摩美術大学大学院美術研究科芸術学専攻修了。多摩美術大学芸術学科助手(2011〜15年)を経て、2015年より現職。アーティストの制作に寄り添いながら、作品と空間の関係性が鑑賞体験に与える影響を軸に、キュレトリアルな実践を行っている。

https://jump-ncar.artmuseums.go.jp/members/arai/
荒井 保洋(滋賀県立美術館 主任学芸員)